シェレンベルグ・ミーツェ
サディナシントの豪商と言われたシェレンベルグ家の長女。
王立音楽アカデミーでチェンバロを学ぶ。
| シェレンベルグ ミーツェ | |
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| 出生名 |
シェレンベルグ・ミーツェ (Schellenberg Mieze) |
| 生誕 |
天歴1057年
12月29日
サディナシント王国
王都
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幼少期
シェレンベルグ家はサディナ=シント国内有数の名家でミーツェの父親の代で13代目である。少なくとも5人のきょうだいがいるとの記録があるが全員が死産か1週間以内に死亡している。
3歳よりチェンバロを始め、地区の教会で演奏などをしていた。
王立音楽アカデミーに入学し、演奏旅行を1057年に控えていたが後述の大乱により中止された。
1057年の大乱
1057年に商人たちが王都の物価を吊り上げているという噂から王都の商家への焼き討ちが行われた。この事件で屋敷の人間はミーツェを残して全員が死亡または行方不明となり、シェレンベルグ家は没落した。ミーツェは当時9歳だった。 その後は祈祷師のコーレンベルグ・リナ、レオに保護され、二人とともにヴィルテレット教会の寄宿舎の部屋で暮らしている。